http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050712-00000033-sph-spo

 破壊王、逝く―。プロレス界のトップ・レスラー、橋本真也さん(本名同じ)が11日午前10時36分、脳幹出血のため横浜市南区の市立大付属市民総合医療センターで急死した。40歳だった。同日午前8時過ぎに同市内の知人宅で倒れ救急車で運ばれたが搬送中に心肺停止、帰らぬ人となった。今秋の1年ぶりリング復帰を目指していたが、最近では心筋梗塞(こうそく)の不安も抱えていた。11日未明には「頭が痛い」と訴え、一度は都内の病院に足を運んでいたという。

 プロレス界を暴れまわっていた破壊王が、急逝した。橋本さんはこの日午前8時過ぎに知人宅で倒れた後、救急車で横浜市内の病院に運び込まれたが、搬送中に心肺停止、午前10時36分に死亡が確認された。遺体は同日午後、横浜南署で司法解剖された後、保土ケ谷区内の葬祭場に一時安置された。出身の岐阜県からは妹の真生さん(32)、師匠で新日本プロレス相談役の坂口征二氏(63)や同期でレスラーの蝶野正洋(41)を始め新日選手らが駆け付け、橋本さんと無言の対面をした関係者は、一様に言葉を失った。

 不吉な予兆はあった。親しい関係者は、橋本さんが倒れる約8時間前の11日午前零時20分過ぎ、橋本さん本人から不調を訴える連絡を受けたという。「頭が痛い。病院のカード(診察券)を探してるが、持ってるか? 病院の場所を教えてくれ」とのメッセージを留守番電話に残し、同日未明には一度、都内の病院に足を運びながらも横浜の知人宅に引き返していたという。また、最近は心臓の薬も服用していたようで約2週間前には不整脈を訴えて、都内の病院に入院していた。

 レスラーの生命線である右肩故障と1億円近い負債で心労が重なっていた。2000年11月に創設したプロレス団体「ZERO―ONE」の経営悪化に伴い昨年11月25日付で経営権を放棄、約1億円の負債を抱える経済難に陥っていた。昨年8月31日の試合を最後にリングを離れ、同年12月には右肩の手術に踏み切った。負債をすべて背負う形で、3月25日には離婚し裸一貫での出直しを誓っていた。この日午後10時過ぎには、債務整理を担当する弁護士事務所が横浜市内で会見し、喪主を務める妹の真生さんは「兄は心筋梗塞の疑いがあると心配していた。母も60歳で同じ病気で亡くなったので、兄も気にはしていた」と語った。

 波乱万丈の人生だった。中学生の時に父親を亡くし、岐阜から上京。アントニオ猪木にあこがれ、新日本の門を叩いた。1990年代は蝶野、武藤敬司との「闘魂三銃士」を結成、新日本の黄金期を支えた。柔道界から転向した小川直也のデビュー戦相手も務め、壮絶な死闘を見せた。10月8日の新日本・東京ドーム大会での復帰戦も浮上し橋本さんも「秋には復帰したい」と語っていたという。10年来の親友・石田克史さんは「負債と故障、悪いことがあまりに重なり過ぎた。自分が復帰すれば数年で(負債は)完済する自信があると常々話していた」と橋本さんの胸中を代弁した。昨秋には「半年でカムバックしたい。おれは奇跡の復活を信じる。いつの日か破壊王は復活する」と話していた橋本さんだが、志半ばにして倒れた。40歳。あまりにも早過ぎる死だ。(小河原 俊哉)

 ◇橋本真也(はしもと・しんや)本名・同じ。1965年7月3日、岐阜県土岐市生まれ。84年、新日本プロレス入団。同年9月1日、デビュー。アントニオ猪木、坂口征ニらの付け人を務め、蝶野、武藤と闘魂三銃士を結成しトップ・レスラーに。00年10月に新日本を解雇され、同年11月にプロレス団体「ZERO―ONE」を設立したが、経営悪化に伴い昨年11月25日に経営権を放棄しフリーに。主なタイトルはIWGPヘビー、3冠ヘビー。得意技はケサ斬りチョップ、DDTなど。183センチ、113キロ。

(スポーツ報知) - 7月12日13時0分更新


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